2013年3月31日日曜日
歌わない、考えないアドリブ。極端に振り切る。
現在、僕がアドリブを学ぶ上で主軸にしているコンセプトが「アルペジオ中心。歌わず、なにも考えずにひたすらアルペジオ」である。
歌わないというのはずいぶん極端なコンセプト聞こえるかもしれない。
歌うように紬ぎだされたメロディーこそが最上にものという風潮があるのは確かだと思う。
しかし歌う、すなわち自分で考えだしたメロディーを弾くということはいうまでもなく、自分の中にある要素しか出てこない。
すなわち自分の感性の枠を破れないということではないだろうか。
アドリブをとるときの僕の頭の中はこうだ。
指板上のあちこちにあるトライアドのコードフォーム、そしてそれをどう弾くかのリズムのイメージ、これだけだ。
メロディーや音階のイメージは持たないようにしている。
アルペジオをひたすらいろいろな面白いと思うリズムで弾き倒していく。アルペジオだから外れた音は飛び出ようがない。
こうした試みのなかから自分の中にはない面白いメロディーが飛び出てくるのを楽しむのだ。
もちろんこれはかなり振り切ったコンセプトである。
しかし、振り切るということは重要なファクターである。
技術や思考の熟練というものは螺旋階段のようなものだと思う。
上に行くためにはぐるっと反対側に行かなければならない。
僕は今までずっとブルーズを研究してきた。
Albert Kingはもっとも多くコピーしたギタリストの一人だ。
顔をしかめ、情感たっぷりの入魂のチョーキング、そうしたギターを追求してきた。
そこから一気に反対側に振っているのが今だ。
座標的にアルペジオを捉え、歌わない、考えない。
振り切り続けた後には一周回ってもとの場所に戻ってくる。
そして一周回ったあとには螺旋階段のように一段上にいるのだ。
このまま振り切り続け、一周して「ブルーズギタリスト」に戻った時、どんなギターが弾けるのだろうか。
それを考えるととてもわくわくする。
この途方もない螺旋階段をまずは一周するために、今しばらく「歌わない、考えないアドリブ」に振り切り続けたいと思う。