音楽家には大事だと思うんです。
2022年8月24日水曜日
久しぶりにCD聴いてます!
音楽家には大事だと思うんです。
2022年8月19日金曜日
レコーディングの開始はテンポ決めから。アンビバレンスな音楽という事象の中でなんとか線引きをする!
アレンジなどが決まり、本番のレコーディングの折にはまずテンポを決めます。
今回のレコーディングもその例に漏れずまずはテンポの吟味から始めました。
アレンジができた段階で大体のテンポのイメージはあります。
皆さんも鼻歌を歌うとき、各曲ごとに大体のテンポのイメージはあると思います。
基本的にはそれと同じ感覚です。
今回は120からスタート。曲はBeatlesのDrive My Carです。
最初の印象は大体良さそう。
ここから115にしてみると遅い。音を置きにいっている感じ。アレンジが活きません。
なので速い方にシフトチェンジ。
レコーディングで大事なのはしっかり吟味すること、そして好き嫌いや感覚だけで決めないこと。
こうこうこういう理由ないし聴こえ方によりAよりBの方が良い。としっかり理由立てて決断をします。
レコーディングやクリエイションというと「感覚、センス」というイメージを持つ方が多いと思いますが、そのようなものに頼った判断方法では自分の中のルーティーンに陥り抜け出すことができません。
それは鼻歌を適当に歌うのと本質は変わらず、たいそうな機材で録音をしているのでしっかり作っているように感じるだけだと僕は思います。
BPMを120から2ずつあげていって様子を見ます。
もちろん録音してしっかりプレイバックを聴いて判断します。
弾いている時には少し速いかなと思ってもプレイバックを聴くともっと速くてもいいなと感じます。
その時点で前のテンポが遅いテイクはもうかなり遅く聴こえます。
入念に試していくとだんだん耳がアップデートされていく感じがしますね。
BPM128になった時点でさすがに慌てた印象になったので、BPM126をもう一度聴いてみます。
遅い印象も特になくノリもしっかり出ているためBPM126に決定。
テンポ決定の一番の基準は曲やアレンジが1番活きるテンポであること。
テンポが違うだけで音の質感やノリもかなり違ってきます。
もっと軽快なノリがいいのか、逆にもっとどっしりがいいのか?
これ曲と対話するようにプレイバックを聴いていくしかありません。
弾きやすい/弾きにくいといったプレイヤーの都合ではなく主体はやはり曲なのです。
しかし「さすがにこのテンポでは指が追いつかない」といったときもあるのは事実です。
これはバランスでどこまで攻めてどこで線を引くか。
冒頭で感覚で決めないことと書きましたが、あえて書きます。
ここは感覚と経験です。
今回一番言いたいことは音楽には「Yes and No」 相対する答えのどちらの部分も含んでいるというアンビバレンスな事象が山ほどあるということです。
その中になんとか線を引き判断を重ねていくのがレコーディングなのではないでしょうか?
2022年8月17日水曜日
レコーディング再開しました!
昨日からアコースフィアレコーディングスタジオにて、Sonascribeのレコーディングが本格的に再開しました!
コロナ禍が始まってほぼ3年、レッスン形態の変遷やそもそも生活自体が大変な時期だったこともあり長らくこうしたクリエイションはやれずにいました。
このところ、レコーディングの依頼があったこともあり、ようやく自分たちの作品作りもはじめられる状態になりました。
まあ気持ちの問題一つである側面も否めないのですが、やはりクリエイションは気持ちのありようがすごく大事なのです。
さてレコーディングですが、音楽の中で一番過酷な作業だと思います。
レコーディングって本当に気持ちや気合いが乗るんです。
及第点くらいのまあこんなもんかなという気持ちで演奏したものはまあまあの作品にしかなりません。逆にとことん突き詰めたものにはやはり気持ち、熱、密度、いろいろなものが込もると思います。
これは単に録音時の演奏のテンションとかそういう一面的なものではなく、アレンジやプリプロ段階での熱意とか、録音する曲に対する思いとか、いろいろなものが総合して乗ってきます。
だから音源作品というのは尊いんだと思いますね。
名盤が名盤として今日も残っているのはそうした作り手の - 演奏者のみならずそれに関わった全ての人の熱意が込もっているからでしょう。
自分が感銘を受けた名盤たちに少しでも近づいた音源ができるよう、レコーディングをまた頑張っていきたいと思います!
ぜひご期待ください!
2022年8月13日土曜日
弦交換のタイミングとは? 実際みんながみんなきっちり替えているのか??
2022年7月29日金曜日
エモーションを記録できる唯一のメディア、文章のススメ。
最近インスタ始め、SNSがウェブの主役に躍り出たこともありあんまりこうしたブログのような文章を書かなくなっていました。
先日思い出したように昔の自分のブログなどを読んでいると蘇ってくることも多々あり、文章で残しておくのはとてもいいことだなあと感じました。
それで少々筆をとっております。
往時を残すものとして文章、写真、動画など現代は色々な方法があります。
そんな中、文章は一番アナログな方法でしょうし、今わざわざ文章で残す意味合いとはなんでしょうか。
それはエモーションを記録できることだと思います。
写真を眺めて、動画を観て、思い出すエモーションは必ずあることでしょう。
しかしそのエモーションはその時に思い出しているだけであって記録してあるものでは
ありません。
その時のエモーションを記録できるのはまさに言葉、文章以外にないと僕は考えます。
ではなぜここでエモーション、ひいてはその記録を重視した文章を書いているかと言うとそれが自分の成長にとって必須だと考えているからです。
人を成長させるものは何か、それは言うまでもなく経験です。
しかし同じ経験をしながらも成長に差が出てしまうのはそこで感じるエモーションに違いがあるからだと思います。
同じ本を読んでも人それぞれ感想が違うように。
ひとつの経験からより多様なエモーションを感じて、さらにそれを深く掘り下げていけば、そこからの学びは大きなものとなります。
そのエモーション掘り下げる、さらには振り返るという作業。これこそが文章によって可能になることだと思います。
僕は文章という形で言語を可視化しないと、深い思考はできないと考えています。
Twitterから始まり、インスタ、ショート動画など、メディアはコンパクトな方向に向かうばかりですが、時には長い文章を書いてみるのもいいものですよ。
この文章もタイピングしてしまっていますが、紙とペンで 書いてみるとよりダイレクトに自分のエモーションが文章に反映されていくと思います。
気になった方はぜひお試しください!