Acoustic Sound Organization 麻生洋平さんのライブが荻窪のカフェLeCoCo(ル・ココ)で行われました!
今回は僕らの師匠であるAcousphereの奥沢さんをサポートに迎え、奥沢さんがウクレレギターで伴奏、麻生さんがウクレレでリードギターというユニットでの演奏にでした!
今回はアンプを使わない生音での演奏でした。
生音ならではのピュアな音色がお店の隅々までしっかりと響き渡っていく感じでした。
Isn't She Lovelyでは麻生さんがとても白熱したアドリブをきかせてくれました。
気合の入った音は耳ではなく頭に直接ビリビリくる感じいいですね!
最後は麻生さんが1人でソロウクレレを披露!
ソロギターの重厚さとは違った軽やかさはウクレレならではですね!
今日の麻生さんと奥沢さんのライブは単なる演奏に留まらず楽しさや心地良さに満ちた雰囲気まで作り出していたと思います。
食い入るように見つめる人、目をつぶってじっくり聞きいる人、お客さん一人一人がそれぞれの楽しみ方をしていました。
いい音楽がその場にあると音楽の楽しみを共有してその場に不思議な一体感が生まれてくるように思います。
いい音楽は空間をプロデュースできるものだと思います!
定期的にカフェライブを開催していくようなので次回が楽しみです!
ウクレレに興味がある方はAcoustic Sound Organizationのブログもぜひチェックしてみてください!
ウクレレクリニックやウクレレレッスンの情報が満載です!
2012年6月23日土曜日
2012年6月18日月曜日
昨日は菜の花亭でAcousphere Music Partyが開かれました!
昨日は菜の花亭でAcousphere Music Partyが開かれました!
ギターレッスンの生徒さんが集まるパーティーは久しぶりだったのでとても楽しみにしていたのですがとても良いイベントになったと思います!
当日は生徒さんの演奏やセッションタイムがあり、僕と井上君で司会進行を務めさせていただきました!
演奏して下さった皆さんからは一生懸命さや楽しさが十分に伝わってきて会場がとてももりあがりました!
なかには僕らから声をかけさせて頂いて、急遽ステージに登って頂いた方もいらっしゃいました。
緊張した面持ちながらも楽しんで演奏して頂けたようでとても嬉しく思います!
日本ではライブハウスに出るのもお金が必要ですし、人前で演奏する機会はどうしても少なくなってしまいます。
またレッスンは基本的にはマンツーマンなので他の生徒さんと会う機会はあまりないと思います。
そんななか今回のパーティーは演奏や出会いの場所となれたのではと思います。
実は僕と井上君も今回のようなMusic Partyで出会って結成に至ったので今回、及ばずながらもこのような形で運営のお役に立てたことを本当に嬉しく思います!
iPadから送信
ギターレッスンの生徒さんが集まるパーティーは久しぶりだったのでとても楽しみにしていたのですがとても良いイベントになったと思います!
当日は生徒さんの演奏やセッションタイムがあり、僕と井上君で司会進行を務めさせていただきました!
演奏して下さった皆さんからは一生懸命さや楽しさが十分に伝わってきて会場がとてももりあがりました!
なかには僕らから声をかけさせて頂いて、急遽ステージに登って頂いた方もいらっしゃいました。
緊張した面持ちながらも楽しんで演奏して頂けたようでとても嬉しく思います!
日本ではライブハウスに出るのもお金が必要ですし、人前で演奏する機会はどうしても少なくなってしまいます。
またレッスンは基本的にはマンツーマンなので他の生徒さんと会う機会はあまりないと思います。
そんななか今回のパーティーは演奏や出会いの場所となれたのではと思います。
実は僕と井上君も今回のようなMusic Partyで出会って結成に至ったので今回、及ばずながらもこのような形で運営のお役に立てたことを本当に嬉しく思います!
iPadから送信
2012年6月17日日曜日
2012年6月14日木曜日
英語の無生物主語表現について考えてみた!
最近、改めて英語についていろいろ考えています。
人は言語でものを考えて受容し発信します。すなわち言語力をのばすことで思考や視野の幅をさらにひろげることができるのではないかと思います。
その際、日本語のみではなく英語の言語感覚が備わっていれば日本語では見えない世界が見えてくるように思うのです。
英語は根本的に日本語とは違う言語です。よって直訳された表現では不自然な日本語になってしまう表現が多くあります。
もちろん、意味が通るよう自然な日本語によって翻訳はなされているわけですが、このような部分こそ英語特有の表現として英語のまま読んで理解することが大切だと思います。
個人的にいわゆる無生物主語と呼ばれる表現が好きです。
人以外のものが主語になっている表現です。
例えば
This book makes me lough!
この本は面白い(笑える)!
この本は私を笑わせる ということですがこうのように訳すと不自然です。
このような表現はキリスト教の一神教の世界観が大きく影響しているそうです。
英語は世界を見下ろす神の視点で組み立てたてられている言語なのです。
神の視点というと大変なもののように聞こえますが、要は一つの視点から世界を俯瞰して表現しているということです。
時制が日本語に比べてかなり細かく表現されるのもこの視点が一カ所ということに起因していると思います。
こちらはStevie WonderのLatelyという曲の歌詞なんですがこの無生物主語という表現ならではのロマンティックさがあると思います。
敢えて直訳的に訳してみます。
Well, I'm a man of many wishes
(僕は願い事の多い男)
I Hope my premonition misses
(この予感が外れて欲しい)
But what I really feel, my eyes won't let me hide
(でも僕の目は隠させてくれない。僕が本当に感じていることを。)
‘Cause they always start to cry
(なぜならぼくの目はいつも泣き出してしまうから。)
‘Cause this time could mean goodbye
(これはさよならになるかもしれないから)
この歌詞では自分の目が主語になった表現が使われています。
目を自分から離れた一つのものとして表現することで、単に気持ちを隠せない、泣かずにはいられないといった表現よりも
行き場のない泣きたい気持ちが際立って伝わる気がします。
しかし上の直訳的な訳では日本語として少し不自然で、その分感動が薄れてしまう気がします。
脳内で日本語に変換せず、英語のまま扱うというのはTOEICなどのテスト対策でよく言われることです。
テスト対策では英語読解のスピードアップに焦点が当てられていますが、それは英語の世界観に踏み込む上でも欠かせないことだと思います。
好きな曲の歌詞を英語で理解してみるとさらに深い感動が味わえるかもしれません!
新しい表現に出会うことでいままでの自分になかった発想も出てくるのではないでしょうか!
人は言語でものを考えて受容し発信します。すなわち言語力をのばすことで思考や視野の幅をさらにひろげることができるのではないかと思います。
その際、日本語のみではなく英語の言語感覚が備わっていれば日本語では見えない世界が見えてくるように思うのです。
英語は根本的に日本語とは違う言語です。よって直訳された表現では不自然な日本語になってしまう表現が多くあります。
もちろん、意味が通るよう自然な日本語によって翻訳はなされているわけですが、このような部分こそ英語特有の表現として英語のまま読んで理解することが大切だと思います。
個人的にいわゆる無生物主語と呼ばれる表現が好きです。
人以外のものが主語になっている表現です。
例えば
This book makes me lough!
この本は面白い(笑える)!
この本は私を笑わせる ということですがこうのように訳すと不自然です。
このような表現はキリスト教の一神教の世界観が大きく影響しているそうです。
英語は世界を見下ろす神の視点で組み立てたてられている言語なのです。
神の視点というと大変なもののように聞こえますが、要は一つの視点から世界を俯瞰して表現しているということです。
時制が日本語に比べてかなり細かく表現されるのもこの視点が一カ所ということに起因していると思います。
こちらはStevie WonderのLatelyという曲の歌詞なんですがこの無生物主語という表現ならではのロマンティックさがあると思います。
敢えて直訳的に訳してみます。
Well, I'm a man of many wishes
(僕は願い事の多い男)
I Hope my premonition misses
(この予感が外れて欲しい)
But what I really feel, my eyes won't let me hide
(でも僕の目は隠させてくれない。僕が本当に感じていることを。)
‘Cause they always start to cry
(なぜならぼくの目はいつも泣き出してしまうから。)
‘Cause this time could mean goodbye
(これはさよならになるかもしれないから)
この歌詞では自分の目が主語になった表現が使われています。
目を自分から離れた一つのものとして表現することで、単に気持ちを隠せない、泣かずにはいられないといった表現よりも
行き場のない泣きたい気持ちが際立って伝わる気がします。
しかし上の直訳的な訳では日本語として少し不自然で、その分感動が薄れてしまう気がします。
脳内で日本語に変換せず、英語のまま扱うというのはTOEICなどのテスト対策でよく言われることです。
テスト対策では英語読解のスピードアップに焦点が当てられていますが、それは英語の世界観に踏み込む上でも欠かせないことだと思います。
好きな曲の歌詞を英語で理解してみるとさらに深い感動が味わえるかもしれません!
新しい表現に出会うことでいままでの自分になかった発想も出てくるのではないでしょうか!
2012年6月13日水曜日
新MacBook Pro発売で感じたこと
MacBook Proからもついにディスクドライブがなくなりました。
先立ってのiPadやiCloudのビビッドさに比べるとこの変更はやや地味でマイナーチェンジのひとつと片付けてしまいそうです。
しかしこの変更はAppleの姿勢や今までの軌跡を如実に表したものとして非常に意義深いものであると思います。
CDをはじめ回転物のメディアはその衰退や終焉は随分まえから言われていることです。
実際の日常を振り返って見ても、例えばCDを焼くという行為自体かなり少なくなっているのではないでしょうか。
今はデータのやり取りはUSBメモリかメールで済みます。外に持ち出すラップトップにおいてディスクドライブが必要となる機会はほぼないと思います。
しかしながら今までディスクドライブを撤廃したコンピューターはMacBook Airのみでした。MacBook Airはモバイルに特化したマシーンということでディスクドライブが必要な作業は家のデスクトップコンピュータで行えばよいという前提が少なからずあったと思います。
対してMacBook Proはそれ一台でパワフルな作業がこなせるマシーンという位置づけです。ラップトップとはいえ、MacBook Proとデスクトップがもう一台という使い方は想定されているとは言い難い。
そんなMacBook Proからディスクドライブがなくなったことが大きな意味を持つと思うのです。
多くの企業は人々のニーズを追うように製品を展開しているのに対してAppleは新たな価値観やライフスタイルを提示するような製品を作り出しています。
その過程でしばしば過去の製品は切り捨てられてきました。先ごろのos Lionが好例です。
Lionへのアップデートによって使用不可になってしまうソフトがかなり存在しました。
しかしiCloudを推進するためにその切り捨ては必要だったのではないでしょうか。
ディスクドライブはまだまだ必要であると多くの人は考えていると思います。活躍の頻度は少なくなったとはいえ、CDやDVDは有益なメディアであるでしょう。
しかしそれらのディスク系メディアの終焉は確実に近づいています。
今回のMacBook Proはディスク系メディアからの脱却を牽引し、次世代のコンピュータースタイルに人々を引っ張り込むという大きな役目を担う最初のコンピューターとなるのではないでしょうか。
そのための布石はすでにいくつも打たれています。
iTunseとApp Storeです。
iTunseは音源のダウンロード販売の道を拓きました。
またApp StoreではLogicやFinal CutといったAppleの主力ソフトが販売されています。
つまりAppleが自身で作り上げたシステムにおいてディスク系メディアは全く不要なのです。
この中においてユーザーはCDは面倒だというイメージを抱くのは当然な流れでしょう。
またAppleはこの新たな価値を提供するという指針によって多くのロイヤルカスタマーを生み出してきました。彼らがこのMacBook Proを購入することによって、Appleは彼らをAppleのエコシステムのかなり深い部分につなぎとめることが可能になります。
なぜならAppleのソフトほどクオリティーの高いソフトをダウンロードで買える場所などApp storeしかないのですから。
そうなればAppleの経営はさらに盤石なものとなるでしょう。
MacBook ProはAppleのクリエイティブな姿勢を示しつつAppleに大きな利益をもたらす可能性を秘めた製品であると思います。
先立ってのiPadやiCloudのビビッドさに比べるとこの変更はやや地味でマイナーチェンジのひとつと片付けてしまいそうです。
しかしこの変更はAppleの姿勢や今までの軌跡を如実に表したものとして非常に意義深いものであると思います。
CDをはじめ回転物のメディアはその衰退や終焉は随分まえから言われていることです。
実際の日常を振り返って見ても、例えばCDを焼くという行為自体かなり少なくなっているのではないでしょうか。
今はデータのやり取りはUSBメモリかメールで済みます。外に持ち出すラップトップにおいてディスクドライブが必要となる機会はほぼないと思います。
しかしながら今までディスクドライブを撤廃したコンピューターはMacBook Airのみでした。MacBook Airはモバイルに特化したマシーンということでディスクドライブが必要な作業は家のデスクトップコンピュータで行えばよいという前提が少なからずあったと思います。
対してMacBook Proはそれ一台でパワフルな作業がこなせるマシーンという位置づけです。ラップトップとはいえ、MacBook Proとデスクトップがもう一台という使い方は想定されているとは言い難い。
そんなMacBook Proからディスクドライブがなくなったことが大きな意味を持つと思うのです。
多くの企業は人々のニーズを追うように製品を展開しているのに対してAppleは新たな価値観やライフスタイルを提示するような製品を作り出しています。
その過程でしばしば過去の製品は切り捨てられてきました。先ごろのos Lionが好例です。
Lionへのアップデートによって使用不可になってしまうソフトがかなり存在しました。
しかしiCloudを推進するためにその切り捨ては必要だったのではないでしょうか。
ディスクドライブはまだまだ必要であると多くの人は考えていると思います。活躍の頻度は少なくなったとはいえ、CDやDVDは有益なメディアであるでしょう。
しかしそれらのディスク系メディアの終焉は確実に近づいています。
今回のMacBook Proはディスク系メディアからの脱却を牽引し、次世代のコンピュータースタイルに人々を引っ張り込むという大きな役目を担う最初のコンピューターとなるのではないでしょうか。
そのための布石はすでにいくつも打たれています。
iTunseとApp Storeです。
iTunseは音源のダウンロード販売の道を拓きました。
またApp StoreではLogicやFinal CutといったAppleの主力ソフトが販売されています。
つまりAppleが自身で作り上げたシステムにおいてディスク系メディアは全く不要なのです。
この中においてユーザーはCDは面倒だというイメージを抱くのは当然な流れでしょう。
またAppleはこの新たな価値を提供するという指針によって多くのロイヤルカスタマーを生み出してきました。彼らがこのMacBook Proを購入することによって、Appleは彼らをAppleのエコシステムのかなり深い部分につなぎとめることが可能になります。
なぜならAppleのソフトほどクオリティーの高いソフトをダウンロードで買える場所などApp storeしかないのですから。
そうなればAppleの経営はさらに盤石なものとなるでしょう。
MacBook ProはAppleのクリエイティブな姿勢を示しつつAppleに大きな利益をもたらす可能性を秘めた製品であると思います。
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