2012年6月14日木曜日

英語の無生物主語表現について考えてみた!

最近、改めて英語についていろいろ考えています。

人は言語でものを考えて受容し発信します。すなわち言語力をのばすことで思考や視野の幅をさらにひろげることができるのではないかと思います。

その際、日本語のみではなく英語の言語感覚が備わっていれば日本語では見えない世界が見えてくるように思うのです。

英語は根本的に日本語とは違う言語です。よって直訳された表現では不自然な日本語になってしまう表現が多くあります。
もちろん、意味が通るよう自然な日本語によって翻訳はなされているわけですが、このような部分こそ英語特有の表現として英語のまま読んで理解することが大切だと思います。

個人的にいわゆる無生物主語と呼ばれる表現が好きです。
人以外のものが主語になっている表現です。


例えば

This book makes me lough!
この本は面白い(笑える)!

この本は私を笑わせる ということですがこうのように訳すと不自然です。


このような表現はキリスト教の一神教の世界観が大きく影響しているそうです。

英語は世界を見下ろす神の視点で組み立てたてられている言語なのです。
神の視点というと大変なもののように聞こえますが、要は一つの視点から世界を俯瞰して表現しているということです。

時制が日本語に比べてかなり細かく表現されるのもこの視点が一カ所ということに起因していると思います。


こちらはStevie WonderのLatelyという曲の歌詞なんですがこの無生物主語という表現ならではのロマンティックさがあると思います。

敢えて直訳的に訳してみます。

Well, I'm a man of many wishes
(僕は願い事の多い男)
I Hope my premonition misses
(この予感が外れて欲しい)
But what I really feel, my eyes won't let me hide
(でも僕の目は隠させてくれない。僕が本当に感じていることを。)
‘Cause they always start to cry
(なぜならぼくの目はいつも泣き出してしまうから。)
‘Cause this time could mean goodbye
(これはさよならになるかもしれないから)

この歌詞では自分の目が主語になった表現が使われています。
目を自分から離れた一つのものとして表現することで、単に気持ちを隠せない、泣かずにはいられないといった表現よりも
行き場のない泣きたい気持ちが際立って伝わる気がします。

しかし上の直訳的な訳では日本語として少し不自然で、その分感動が薄れてしまう気がします。

脳内で日本語に変換せず、英語のまま扱うというのはTOEICなどのテスト対策でよく言われることです。
テスト対策では英語読解のスピードアップに焦点が当てられていますが、それは英語の世界観に踏み込む上でも欠かせないことだと思います。

好きな曲の歌詞を英語で理解してみるとさらに深い感動が味わえるかもしれません! 
新しい表現に出会うことでいままでの自分になかった発想も出てくるのではないでしょうか!