2015年9月22日火曜日

ちょうど10年前のこと


今日は10代の頃、音楽活動でお世話になった地元の先輩と久しぶりに電話で話をした。
僕が地元を離れた後もちょくちょく連絡に応じてくれてもう気付けば10年になる。
僕が一方的に連絡して好き勝手喋ることが多い気がするが、こんな後輩からの連絡を喜んでもらえるのは嬉しく思う。

年は7つか8つくらい上だろうか。
大人になってみるとそのくらいの年の差の付き合いは普通にもなろうが、当時高校生だった僕からみたらそれは大層な年齢差に感じられたものだ。
その先輩はギターとボーカルをやってて新しく結成しようとしていたアコースティックユニットにギターで誘ってもらった。

かくして高校生らしからぬ音楽生活がここから始まった。
バンドを組んでライブをやっている高校生は数多くいるだろうけれども、それとはかなり違ったものであったと思う。
そのおかげでいろいろな場所に行って、いろいろな人に会っていろいろな話を聞くことができた。
そんな経験が出来る環境に引き入れてくれたその先輩には今も感謝している。

実はそのアコースティックユニット、その後、僕はクビになった。
当時、馴染みのライブハウスで某メジャーアーティストのライブの前座をすることになりったのだが、その前に僕はユニットからの脱退を言い渡されたのだ。
今思えば、結構いい加減なプレイばかりしてたなと思うわけだが、それはショックだった。

そのときのことはよく覚えている。
バーカウンターに突っ伏して動けなくなった。
悲しいやら悔しいやらで号泣しそうになるのを必死にこらえてたからだ。
あんなに泣くまいと涙を押し殺したことはなかった。
なんとか、感情のピークを越えて顔を上げた。
その時の先輩の辛そうな顔もよく覚えている。
マスターに言われた。「バイトでいれてやるから当日見に来い」と。
見に来るなんて本当に嫌だ。ステージの下で演奏みてるなんてどんな気分になるんだろうか、想像しただけでキツい。
しかしここで目を背けてしまったらもうここで終わってしまうなと思ったので当日バイトとして店にきた。
そのときリハーサル中だった先輩との気まずい空気もよく覚えている。
本当にまざまざとよく覚えている。
挫折らしい挫折だったと思う。

しかし今振り返るとそれは大きな財産だと思える。
悔しかった、悲しかった、そんないろいろな感情。
それはそれはキツかったけど当時の僕なりにそれと向き合ったこと。
クビを言い渡すなんて先輩の方がよっぽどキツかっただろうな、なんて今は思えること。
いろいろ。
それは僕にとっていまや宝物のような経験の1つである。