2015年2月17日火曜日

事象そのものに目を向けるべし


最近、研究やコピーを進めているAl Di Meola。
彼のフレージングはもちろんだが、何よりもその正確かつエネルギッシュなピッキングテクニックを盗みたいと思っている。

彼のピッキングに関する教則ビデオはYouTubeで見ることができる。
そのなかで彼は「手首を固定して弾くんだ、肘は動かしてはいけない」と言う。
しかし純粋に手首だけの動きだけでは彼のようにピッキングはできないし、彼のようなトーンは出せない。

特に彼の代名詞のようなラテングルーヴのストロークと速弾きの行き来はかなり困難になるように思う。
また手首だけの動きでは弦に対する力のかかり方が少し歪になり、ペチペチした芯のない音になる。

対して動きの中心を肘におき、手首では柔軟に保っておいた方が彼の音に近づける。
肘からの動きをサスペンションのようにして受け止めることで腕全体の動きが連動しストロークと単音の行き来がスムーズになる、かつ、力でなく腕の重さによってピッキングが行われるので芯のある音がでる。

速弾きのときの動きを比べると手首に動きの中心があっても肘に動きの中心があっても見た目はほとんど同じに見える。
問題はAl Di Meolaがさも手首に動きの中心を置いているかのような発言をしている点だ。

Al Di Meolaはもっと特殊な手首の動かし方をしている、練習を積めばストロークと単音の行き来は無理矢理でもできる、といった理屈を挙げることはできる。
しかしAl Di Meolaはエコノミーピッキングなど、非常に理にかなったピッキング方法を用いているギタリストだ。
ビデオの中で「このフレーズを高速でオルタネイトで弾くのは無理だ、だからエコノミーにするんだ」と語る部分がある。
そのようにシステマチックな思考回路を持っている彼が無理を通しているとは考えにくい。

では他に検証すべき点をどこに見いだせるだろうか?
それはAl Di Meola本人の言葉であるだろう。
「手首を固定して弾くんだ、肘は動かしてはいけない」というAl Di Meolaの言及をどう捉えるべきなのかを再考察しなければいけない
そもそもたった一行の言葉でギターにまつわる体の使い方を表現できるというのが間違いだ。
翻訳上でのニュアンスの変換も起こりうるだろう。
またAl Di Meola本人が自分自身が起こしている事象を事細かに言語化して描写できているわけでもないだろう。
なにせ本人はさほど深い意識を持つことなくその鋭いピッキングを体現しているわけで、わざわざ自分自身を考察して描写しなければいけない機会もないだろう。

本人が言うセリフには絶大な影響力がある。しかも人は少ない言葉でのズバッとした表現に弱い。
しかし言葉で言い表せる事象は非常に少ないのではないだろうか。
そもそも、その人の技術を盗もう、学ぼうとしているのに、実際にそこで起こっている事象よりもその短い言葉に頼ってしまうのが間違いなのであると思う。
その事象そのものに目を向け、模倣してみて考察をするということが音楽の研究にとって非常に大切なことであると思う。
その先に達人達の感じている真の世界が広がっていると思う。